DAY9/堅実であるということ


汝の道を行け、しかして、あとは人の語るにまかせよ。
〜マルクス〜

こう冒頭から断言するのもアレなのだが私という生き物は抜本的に担々麺が大好きすぎて仕方がないいきもの(仮)なのです。
そんな自分が高校の時から担々麺世話(そんな言葉はない)になっている馬賊というラーメン屋がある(最近知ったのだが浅草に支店があるらしい)
赤と黒で「まあまあ」に塗り分けられた(…まあまあなんですなあ、この「まあまあ」加減が大好きなんだが) これがまた名前に違わず豪快なラーメン屋でバイクを止めた瞬間に「バスンバスン」という鈍い音に出迎えられる、 要は麺を打っているわけなんだが、「麺を打つ>ラーメンにする」 というサイクルが非常に近しいため打ちたての麺を賞味できるという算段なのだ。
というか麺を打ってる最中はラーメンが出てこないことになることについ最近気がついた。 因みに麺の太さが「うどん、ラーメン、素麺」のアソートとすばらしいアバウトさであることも付け加えておこう。


取り立てて店構えがスバラシイとか店内が格段綺麗であるとかいう、こうなんというか「商売っ気」は微塵も感じられない

実は立地は申し分ない、駅前バスロータリーの前に「どどん」と居を構えているわけで、(直近の情報では日暮里舎人線っていうモノレール線ができるそうで さらに交通拠点色が強くなる気配が濃厚なのだ)
それを考えればもう少し商売的な色気とか、価格的な挑戦があっても良さそうなのだが、俺の知っている限りここは 担々麺大盛りの値段が変わっていない。
多少メニューが増えたかな?っていう時代の流れに対応する素振りは多々見受けられるのだが 相変わらず高校の時から店の中身が変わっていないから瞬間的にタイムスリップしてしまうような 錯覚に陥るわけだ。
昼ジャストに店にはいると近くの飲食店に対してやっぱり相変わらず満杯状態の繁盛っぷりで、 よくウチ等が言う「味な店」かつ「味の店」なのだ、要はメディアとか外観とかそういう物に頼らなくても 「ウチ等のペースできっちり仕事させてもらいまっせ」という潔良い覚悟が「見せるつもりは無いんだけど」 いつもの自然体で滲み出てるわけだ。

よくよく考えれば昔からこんな店だったなあなんて思い返すわけだが、別の店でちょっと悲しいこともあった これまた昔からよく行っていた中華食堂がリフォームし終わったと噂に聞いたのでちょいと馴染みの肉そばでも食べようかと 立ち寄ったわけだが、コレがなんというか立派な店構えで店舗の上にマンションまで立ててしまい 「あー、俺の食った肉そばの儲けはここに行ってたのね」みたいな感じがしてちょっと寂しさを覚えたわけである。
味は別段変わってないのだが、店頭に雑誌の掲載記事だとかその手のメディア情報をがっつり掲示して 「凄さを誇示しないとイカンゼヨ」ってな強引さを覚えたわけで、昔の狭い汚いオープンキッチン(?)のほうが 同じ味でも旨く感じるのは、如何に客の心が「商品そのものだけでは構築されない物なのだ」というの事からくるのだ・・・ ということを思い知った休日の夜だった。
因みに名物の頑固親父の背中も随分と寂しそうだった やっぱり飾らない継続っていうのはやっぱり偉大なのだなあ…